中森さん奄美大島旅紀行 Part2 | 札幌の住宅リフォーム【あんしんホーム株式会社】

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中森さん奄美大島旅紀行 Part2

2009奄美大島での西郷の生活には数多くの逸話がありますが
最も有名なものを一つ紹介いたしましょう。

当時の奄美大島と言えば、貴重な砂糖の生産地であり、島民には最も厳しく、そして過酷な取り立てが行われていました。例えば、当時、島の農家には各戸それぞれの負担生産額が割り当てられ、いかに不作の年であっても、ノルマが達成出来ない時には、厳しい処罰が待っていました。今では信じられない話ですが、幼い子供が隠れてサトウキビを少しでもかじったのが役人に見つかると、厳しく処罰されたくらいなのです。このように自分の畑で作ったサトウキビなのに、一口さえもその生産農家の人々に入ることがありませんでした。
そして西郷が奄美にやって来たこの年、サトウキビが不作であったので、そのノルマを達成出来なかった農民達が十数人出ました。島役人達はその事が自分らの手落ちになることを恐れ、その農民達に厳しい拷問を加えました。西郷は常日頃から、そんな農民達の窮状に心を痛め、役人達の非情なやり方に憤っていたので、そのような拷問が行われていることを聞き、ある日、在番役人の相良角兵衛(さがらかくべえ)に面会を求め、農民達を解放するように頼みました。しかし、普段から島民に対し威張り切って傲慢になっていた相良は、西郷の意見を完全に無視しました。その相良の態度に怒った西郷は、

「おはんが方針を改めないのなら、おいが直接藩主公に対し建言書を書きもす。おはんの日頃の態度も併せて上申するつもりごわすから覚悟しておられよ」

と言い放ち、席を立ちました。
いつの時代でも役人は上役に報告されるのを嫌い、これにより自分の出世がふさがることを恐れるものです。驚いた相良は大いに後悔し、態度を豹変し、西郷に対し平謝り、農民を解放することを約束しました。

こんなことがあったことや、西郷は元来やさしい性格で、病人や老人に対して、自分の扶持米などを分け与えていたことなどから、次第に大変島民に慕われるようになりました。

奄美大島には「西郷隆盛」の歴史が刻まれているのですね。

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大島紬資料館…中森さんが奄美大島に旅行した時は、西郷隆盛のパネル展が開かれており、西郷隆盛の貴重な資料が展示されていたそうです。

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大島紬資料館入口…

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高倉群(ボレグラ)…

高倉は穀倉であり、主として穀物を貯蔵していました。他に衣類・長持・魚肉(干物)・豚肉なども貯蔵していたようです。その構造は湿気を防ぐように造られているため、湿度の高いこの地方には非常に適したものです。また、脚の部分は堅い木(イジュ)でつくられており、ネズミが爪をひっかけて登ることができないようになっています。四方の壁は外側に傾斜し、床とほとんど水平になっていて、竹の網代(あじろ)で組みこまれているため通風がよいようになっています。高倉の登り降りは、丸太にキザミを入れた原始的な一本梯子を使用します。

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民家…おじいさんがひょっこり登場してきそうですね(^。^)